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正光寺
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活動内容
正光寺略暦
高野山真言宗正光寺の創建は、詳らかではないが、元禄年間(1688年〜1706年)本堂、庫裡建て替え。1713年火災で全焼とか。1725年には、つり鐘鋳造とか言い伝えもあるので、江戸時代の初め頃にはあったものと思われる。
その後、1818年住職になった晋増上人が伽藍を整え、大変多くの経本や書物、法要などに必要な、仏像の掛け軸など整えられ、土蔵の中に収納し、昭和の時代、その土蔵を傷んで、解体するまで、伝えられてきた。その中には、大般若経600巻とか、両界曼陀羅、弘法大使が書かれた「三教指歸」など当時としては、貴重なものがたくさん今に伝わっている。
嘉永6年(1853年)火災により再び全焼。(上記の土蔵は、火災を免れる)この時、正光寺再建を担ったのは、福山市津之郷町の田邉寺から来られた戒忍上人であった。3年後の安政3年(1856年)には、8×7.5間という大きな庫裡(持仏堂)を再建するという大変業を成し遂げられた。
本尊聖観世音菩薩は、本尊台座の裏の墨書によれば、現在の福山市新市町戸手にあった「天王寺」が廃仏毀釈の風潮の中で廃寺となり、その天王寺のご本尊を招来したものである。
普増上人のお墓は歴代正光寺住職の墓のある墓地に戒忍上人のお墓は、鐘楼門の前にある。
安政年間に再建された庫裡(持仏堂)は150年が経過し、傾きも年々ひどくなり、幾度も修理を繰り返した。
本堂再建にあたっては、平成14年より、5年計画で本堂再建にとりかかり、平成19年9月に完成した。
まず、参道の拡幅工事と境内の裏の擁壁構築をし、引き続き、間口7間、奥行き6間の本堂、更に玄関、寺務室、位牌壇、倉庫、便所などの付属の建物を加え、状大な本堂が完成した。
その後、約一年を掛けて、本堂内陣の荘厳を入念に仕上げ、平成20年12月7日に「正光寺再建本堂落慶法要」を盛大に厳修した。
再建された本堂が真言密教の信仰の殿堂として、檀信徒一同の安心立命の根本道場として、末永く温存されることを心から願っている次第である。
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